創業者インタビュー
おだわら・はこねではじめたひとたち
池上 直樹Interview11ひな珈琲
選択は大胆、やり方は堅実。安定を捨てて50代で決めた自家焙煎珈琲店の開業
小田急「螢田」駅前で自家焙煎珈琲店〈ひな珈琲〉を経営する池上直樹さんは、25年間勤めた教員を辞め、老舗のコーヒー店で一から修行してお店を開きました。先の見えた安定よりも新たな道でのチャレンジを選んだ池上さんですが、決して無鉄砲に飛び出したわけではありませんでした。地道な修行やファンづくりなどの堅実な準備が実を結び、オープンから1年経ったいま、売上は順調に伸び始めています。僕は言い出したら聞かないから、と笑う池上さんが50代で挑戦する姿からは、一歩踏み出す勇気をもらえそうです。
辞めたいと思ってからコーヒーで開業するまでの8年間の試行錯誤
ーまずは池上さんのお仕事について教えてください。
世界各国の良質なコーヒー生豆を手作業で選別し、焙煎機で焙煎して商品として販売しています。こだわっているのは、大量生産のレギュラーコーヒーとは違う、少量焙煎ならではの新鮮さと品質の高さ。店頭でのコーヒー豆の販売のほか、喫茶、通信販売、ワークショップなども行っています。
ー開業当時(2017年)55歳ということで、どのような経緯で開業されたのでしょうか。
その前は、自動車販売会社勤務を経て25年間自動車整備を教える教員をしていました。40代後半で気持ちが行き詰まったんです。どこかやり切った感もあり、定年退職まで勤めたときの自分の姿が想像できてしまって。もうこの仕事を続けるのは無理だ、辞めよう、と。そうなったときに、生涯現役でいられる仕事、自分の技量を高め続けられる仕事、楽しいと思えて人にも喜んでもらえる仕事をしたい、と思ったんです。でも現実がありますから、その場の感情だけで定職を失うわけにもいかないじゃないですか。そこからは、トライアンドエラーでしたね。教員をしながら副業でオリジナルの釣り道具をネットで販売したり、土地も持っていないのにキャンプ場の経営について調べてみたり(笑)。数年間さまざまな業種について調べて考えていくなかで、これだと思えたのがコーヒーの自家焙煎でした。結局、辞めたいと思ってからコーヒーで開業することを決めて退職し、実際に開業に漕ぎ着けるまで8年ほどかかりました。
ー長く勤めた仕事を辞めるのは大きな決断だったと思うんですが、起業するにあたってご家族の反応はどうでしたか。
妻はたぶんすごく不安だったと思うし、今もそうだと思うんですけど、それを口に出さずに信じて応援してくれました。そんなのうまく行くわけないとか、やめなさいとか、そういうことは一切言わなかったですね。そこはすごくありがたいですし、だからこそ絶対失敗できないと思っています。あとは妹と母親も力になってくれています。僕が言い出したら聞かないということを知っているので(笑)。妻と妹にはお店の営業も手伝ってもらっています。
妥協のない焙煎で、コーヒーの味をつくる職人でありたい

ーコーヒーは以前からお好きだったんですか。
思えば、高校時代からコーヒーが好きで、サイフォン、 ミル、テーブル、 チェアなどを揃えて自室を喫茶室風にして楽しんでいたんですよね。でもまさか本当にコーヒー屋になるとは夢にも思っていませんでした。
ーコーヒーというジャンルではカフェ開業という選択肢もあるかと思いますが、池上さんは焙煎を選ばれたんですね。
もともとものづくり系の人間なので、どこか職人なんですよね。なので、やっぱり自分の手でつくりたい。ものづくりの流れとしては、ドリップするよりも豆を焙煎するほうがまず先にあるな、って。だからコーヒーの味づくりに一番深く関われるのは、たぶん焙煎だろうって思ったんですね。あと打算的なところもありました。原料で仕入れて自分で焙煎できたほうが、当然原価は安く抑えられるんです。それは販売する時に有利な要素になる、と。…でも、焙煎するには焙煎機が必要ですよね。本体以外にも公害防止装置や排気筒、それに工事費も合わせると全部で600万弱くらいですか。そうなるとむしろ仕入れたほうが安いんですね。あとで気が付きました(笑)。そうは言っても、焙煎機がないと味づくりはできないので、そこに投資した感じです。
「開業前からお店は始まっている」修行と同時進行だった、地元でのファンづくり
ー試行錯誤してコーヒー焙煎で開業すると決めてからは、どんな準備をされていたんですか。
まずは、教員を続けながら自家焙煎を学ぶためにコーヒーのセミナーをいくつか受講しました。そのうち「カフェ・バッハ」(※)という老舗の自家焙煎珈琲店の技術や思想に共感して、弟子入りして教員を退職したんです。そうは言っても仕事を失うわけにはいかないので、派遣会社の技術管理者として働きながら土日の休みを使っての修行です。この時の転職が、まあ大変でした。3ヶ月で27社受けました。50過ぎてからの転職は、本当に厳しかった。お店を開業するという目標があったからこそ退職の決断ができたし、転職活動も頑張れたんでしょうね。
※カフェ・バッハ:南千住にある1968年創業の自家焙煎珈琲店。店主の田口護氏は、日本で自家焙煎コーヒーを定着させた功労者のひとりと言われる。「バッハ・ブレンド」が沖縄サミットの夕食会で提供されるなど、品質が高く評価されている。自家焙煎店開業を目指す人のためのセミナーの開催や書籍の出版など、人材育成にも熱心。
ーちゃんと弟子入りまでされたんですね。その修行ではどんなことをしていたんですか?
座学もありましたが、基本的にはとにかくひたすら焙煎しました。しかも練習だからと言って安い豆ではなく、販売するものと同じ一級品を使うんです。30種類ぐらいの豆を浅煎りから深煎りまで細かく煎り分けて、全部味を見て。それを何度も繰り返して豆ごとの持ち味や癖を見極めていく、っていう。単に豆を焙煎するというだけなら、焙煎機の操作は3日もあれば誰でも覚えられます。実際、たいした練習、勉強もせずにお店をやっている方も結構いて。だけど、僕はきちんと教育を受けたから、質のいいコーヒーを提供するためには妥協したくなくて。この修行は今でも大きな自信になっているし、経験を積んだことは僕の強みなんですよね。
ーすごく地道な修行をされていたんですね。
そうですね。サラリーマンをしながらだったので、修行には2年半くらいかかりました。それと同時進行で、妻と一緒にカミイチ(※)に出店したり、ペーパードリップのワークショップを開いたり、という活動もしていました。師匠のアドバイスで、お店を開く前からとにかくお客さんをつくりなさい、と言われていて。お店を開くと決めたらそれを周りにどんどん告知して、修行のなかで美味しく焙煎できた豆はどんどん人に配って飲んでもらって、今から味を知ってもらう、そしてファンになってもらう、そういうことを続けなさい、そこからもうお店は始まってるよ、って。開業前のイベントなどをきっかけにお客さんになってくださった方々がいなかったら、オープン当初はもっと厳しかったと思いますね。その方たちがまた他のお客さんを紹介してくださったり、本当に助けてもらいました。
※カミイチ:毎月第4土曜日に小田原市の上府中公園で開催されている、クラフトアート、ワークショップ、フードなど100以上のショップが集まるクラフト市。
この地で長く愛される店であるために、これからもチャレンジを続けていく

ー小田原のなかでは螢田はちょっとマイナーな印象なのですが、ここをお店の場所に選んだのはなぜですか。
螢田(※)は住まいから近く、これから長くやっていくには通勤の短さも大事だと考えて、ここに決めました。小田原に住んで45年になるので、ごく自然な選択。良いところも悪いところも知っていて、愛着もある。でも同業者には驚かれましたね。「俺だったらそこではやらない」なんて言われて。僕らも最初は不安でした。なにせ、各駅停車しか停まらないローカルな駅で、住んでいる人たちの平均年齢も高い場所です。ただ、師匠が「立地に頼るような商売はするな」という考えを持っていて、ご本人も“絶対にうまくいくはずない”と言われていた場所で大成功されているんです。たとえ立地が悪くても、ちゃんと名前を知ってもらっていいものを提供できれば、お客さんは来てくれる、ということを証明している人で。兄弟子でも地方の全く人通りがないような場所でちゃんとお客さんをつかんでいる方もいて、それに比べたら、ローカルとはいえ駅前という場所に店を構えている以上は立地を言い訳にはできない。もしこの場所でお客さんが来ないとしたら、それは他でもない自分にしか原因はないじゃないですか。だから絶対立地のせいにしちゃいけない、と思ってやっています。
※螢田:小田急小田原線「螢田」駅。小田原駅から2駅で、各駅停車のみ。ひな珈琲は道路を挟んで駅の向かいにある。
ー最後に、池上さんのこれからの目標を教えてください。
世の中にコーヒーと名の付くものは星の数ほどありますが、せっかく毎日飲むなら質のいいものを召し上がっていただきたい。品質や焙煎技術の高い、良いコーヒーを知って、召し上がっていただきたいと思っています。東京に比べると、地方に行けば行くほどこういった専門店は少なくなるけど、小田原でもこれだけのコーヒーをつくっている店があると知ってもらえたら。そのためには日々自分自身の腕も上げていかないといけなくて、それはたぶん死ぬまで続くことだと思います。わかりやすいところで言えば、資格の取得や競技会への参加にもチャレンジしていきたいですね。支店を増やして事業を拡大していくというよりは、いかに技量を上げてこの場所で根強くやっていくか、ということを大事にしていきたいです。
ひな珈琲
池上直樹(いけがみ・なおき)1962年神奈川県津久井郡(現相模原市)生まれ。ひな珈琲(hina coffee roasters)店主、焙煎人。駒澤大学文学部社会学科中退、東京工科自動車大学校(現在名)自動車整備科卒業後、自動車販売会社サービス課を経て、母校にて2級自動車整備士過程、1級自動車整備士過程で25年間教鞭を執る。2017年ひな珈琲を創業。バッハ・コーヒー・グループ会員。SCAJコーヒーマイスター。