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創業者インタビュー

おだわら・はこねではじめたひとたち

安藤義和Interview05NARAYA CAFE

旅館から受け継いだ古民家が生まれ変わった!家業を生かし、仕事を遊ぶオーナーがつくる、アップデートし続けるカフェ


 
安藤義和さんが経営する〈NARAYA CAFE〉(ナラヤカフェ)は、箱根にある足湯付きの人気のカフェです。安藤さんの祖母の代まで300年続いた〈奈良屋旅館〉の所有していた建物を再生し、妻の恵美さんと切り盛りしています。敷地内にはカフェだけではなく、あとから増設した雑貨ショップがあり、2017年秋以降には宿泊施設もオープン予定。先祖代々から受け継いだリソースを活かしながら、新しい価値を生み出し続けている安藤さん。ただ家業を継ぐのでもなく、新たに起業するのともちょっと違う、安藤さんらしい事業承継のかたちがそこにはありました。
 
 

宝物のようだったカフェ開業までの時間

 
—どんな仕事をしているか教えてください。
箱根の宮ノ下にある〈NARAYA CAFE〉というカフェの経営をしています。もともと家業が旅館だったのですが、その旅館の所有地の一部だった宮ノ下の駅前の土地で、2007年に店舗をオープンさせました。
 
—カフェオープンの経緯について詳しく教えてください。
僕の祖母の代まで営業していた〈奈良屋旅館〉は、江戸時代から続く老舗の旅館でした。祖母が亡くなったタイミングで旅館をたたんでその土地は売却したんですが、父と一緒にその後の整理をしていく過程で、手放さず残ったこの宮ノ下駅前の土地や建物、温泉の源泉などを活用したいと思うようになったんです。建築士である中学時代からの友人、石井尚人さん(※)に相談しながら、ゆくゆくは敷地内にあるほかの建物も活かしていくことを見越したうえで、まずはカフェをつくることにしました。ここは以前、板金屋(ばんきんや)さんの店舗だったんですが、味のある良い建物だったので、このままの良さをなんとか活かしたかった。当時はリノベーションという言葉が今ほど浸透していなかったので、古いものをできるだけ残しながら改修する、という試みに協力してくれる業者さんを見つけるのに苦戦しました。最終的には、小田原城の改修を手掛けた芹澤工務店さん、大山材木店さんとのご縁があって、伝統的な古民家の修復方法を用いて、県産材を使った店舗を完成させることができました。自分たちで解体やDIYをした部分もかなり多かったので、振り返ってみればあの期間は僕たちにとって宝物になったと思いますね。とても楽しみながらやっていました。最初にカフェの計画を立て始めたのが2005年で、カフェがオープンしたのが2007年です。その後、妻が中心になって近隣地域の作家さんの作品を集めたショップ「ならやあん」を2011年にオープンしました。
 
※石井尚人氏。現在は、安藤さんの所有地であるNARAYA CAFEの隣で「宮ノ下食堂 森メシ」というレストランを経営している。
 

カフェの店内。奈良屋旅館で使われていた照明や、建具をリメイクしてつくったテーブルなどがそこここに置かれている。
 
—安藤さんご自身はカフェを開業するまではどんなことをしていたんですか?
大学で建築を学んで、建築やまちづくりの分野でコンサルタントとして働いたり、その後また大学の研究室に戻ったりしていました。大学の研究室では、地方のまちづくりとか歴史遺産を生かした町おこしみたいなことを手伝ったりしていたんです。そうした時期にちょうど実家の旅館を閉めなきゃいけなくなった。父と一緒に所有していた温泉や古い建物を管理したりしていくうちに、だんだん自分のやっていた専門領域と、実家で今持っているものがリンクしてきたんですね。そんな中で、自分は専門家としてアドバイスをする立場ではなく、自分自身が動くべきだ、アクターになるべきだと、考えるようになったんです。自分の理想とするまちづくりみたいなものができるのは、民間で起業することなんじゃないか、と。代々受け継いだリソースもあったので、自然な流れでこうなったと言える気がします。
 
 

箱根は宝が眠る、力のある場所

 
—安藤さんにとって、小田原・箱根エリアとはどのような場所だと感じますか。
僕は箱根で生まれ育って、今は小田原に住んでいるんですが、この辺りは、「商売をする」という観点ではすごく可能性のある場所だと思います。宝が眠っていると思うんですよね。箱根は、震災のときや噴火の影響があった時期には客足が落ち込みましたが、その後きちんと巻き返しています。今はまだ各エリアが連携しきれていなくて、箱根全体で何かしようという取り組みはないのが現状なんですが、昔からの石畳が残っている旧街道のあたりや、広くて気持ちのいい仙石原、他にもそれぞれのエリアには全く違った持ち味がある。各所がうまく手を組めば、日本でも有数のリゾート地になるんじゃないかと思っています。小田原については、田舎に移住して腰を据えて起業…というには中途半端なんですが(笑)、そこがいいところだと思っていて。東京にも通えますし、互いの顔が見える小さなまちの良さ、というのが小田原にはあると感じています。
 

旧街道(左)と仙石原。他にも芦ノ湖や大涌谷、〈富士屋ホテル〉など古くからの旅館やお土産屋が集まる宮ノ下など、箱根には個性あるスポットが多い。
 
—先輩事業者としては、箱根で新しく事業をしようとする人が参入することについてはどう感じますか。
僕はぜひ来てほしいと思っています。ここで生まれ育って、今はこうしてここで商売をしている半住民のような自分が、そういう人たちとこのまちのつなぎ役になれたらと思います。
 
 

仕事が遊びで、遊びが仕事になっていく

 
—安藤さんはお店のお話をされるとき、すごく楽しそうですよね。
そうかもしれないですね。こうして毎日店に出ているんですけど、あんまり仕事をしているという感覚はないんです。かしこまった接客もしないですし、ここにいることが僕にとってはレジャーみたいなものなんですよね。人にとっては労働に思えるようなことでも自分は結構楽しんでいると思います。例えば、箱根町で行っている美化ボランティアも、若手の人と一緒に活動する良い機会なのでうれしいんです。何が仕事で何が遊びなのかわからないというか、境目ってないんですよね。最近はトレイルランニングに凝っているんですけど、すぐそこに見えている山で走っているんです。こんなに良い場所で遊ばない手はないと思っていまして。大涌谷の噴火の影響があったときに、箱根の大動脈ともいえるロープウェイやケーブルカーが運休になっていたんですが、そういうときに代替的で新しい遊び方としてトレイルランニングを提案したらおもしろいんじゃないか、なんて考えたり。逆に遊んでいるときに仕事のことを考えていることも結構あるんですよね。

仕事のことも遊びのことも、同じように楽しそうに、同じように真剣に語る。とても真面目で、そして遊び心にあふれた人なのだろう。
 
—伺っていると、安藤さんが遊んでいることでNARAYAや周辺地域が良くなっていくような気がします。
そう言ってもらえるとすごく嬉しいです。ただ、もともとは旅がすごく好きだったんですが、ここにこうしてひとつお城を持ってしまった以上、お店を長く閉めるわけにもいかなくて、移動したい欲求が満たされない、というジレンマはあります(笑)。以前は長く冬季休業をとって旅行していましたが、ここ数年で宮ノ下には本当にお客さんが増えて、オフシーズンがないような状態で。我々が始めたというのが要因なのかはわからないですけど、開業したときと今とでは宮ノ下のブランドイメージも上がってるのかもしれない、と思っています。これは地域全体にとっても良いことだと思います。
 
 

家業を継いで、これまでの世代から大きく舵をきるという選択

旅館の跡継ぎでなかったら、カフェ経営という道には進んでいなかったと思う、と言う安藤さん。後ろに飾られているのは、奈良屋旅館時代に使用されていた看板。このカフェによく馴染んでいる。
 
—家業を継ごうか継ぐまいか迷っている人へ、安藤さんから一言ありますか。
僕は長男だったので、子どもの頃から“旅館を継がなきゃいけないのかなぁ”という漠然とした義務のようなものを感じていました。今はそれがずいぶん楽になりましたね。結果としては、旅館自体を継いだというよりもだいぶ方向転換したこともあって、なんとなく義務を果たせたような気もしているし、一方で自分の専門知識を活かしながら、したかったことができている。義務と自己実現のバランスが取れたと思っています。家業を継ぐというのはいろいろなしがらみがあるとは思いますが、今あるリソースを使いながら自分のしたいことにチャレンジする、という方法もありだと思います。極端な話、何百年も続いている企業というのは、その時代時代で業態が変わっていますよね、その多くが。前の世代から大きく舵をきる、というのもひとつの選択肢なんじゃないでしょうか。ただ僕の場合、いま新たに敷地内に宿泊施設をつくっているんです。ゲストハウスや旅館というよりも小さい規模なんですが、結局また僕の代でも旅人を迎える場所をつくっているというのは、なんだかおもしろいというか、不思議な感じですよね。でも僕らは〈NARAYA CAFE〉をこれで完成形とするつもりはなくて。これからも、施設を増やしたりアップデートさせながら、ここを旅人と交流のできる場として発展させていきたいと思っています。

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