Skip to content
  1. HOME
  2. INTERVIEW

創業者インタビュー

おだわら・はこねではじめたひとたち

長嶺喜和/長嶺俊也Interview07デザインこねこ株式会社

内側に飛び込め!まちの人たちと膝を突き合わせたら、小田原をなかから支える今につながった


 
小田原市内を中心にロゴやポスターなどのデザインを手掛けるデザイン事務所〈デザインこねこ〉。東京出身の長嶺俊也さんと、小田原で生まれ育った喜和さんご夫妻が2名のスタッフと一緒に運営しています。10 年以上小田原に暮らしていてもまだ「よそ者」と呼ばれる、と笑う俊也さんですが、内側に飛びこんでまちの人たちと膝を突き合わせ、すでにこのまちをなかから支えているように見えました。自宅から始めた小さなデザイン事務所は、いまや小田原になくてはならない存在になっています。
 
 

「小田原らしさ」をとことん突き詰めたデザイン

 
―まずおふたりがどのような仕事をしているのか教えてください。
俊也さん(以下、俊也):小田原市のまちなかで、企業や行政関係のデザインをつくっています。
 
―昨年の小田原城の改修の際のロゴデザインや、〈HaRuNe 小田原〉の催し物のポスターなどがそうですよね。今は市内の仕事がほとんどですか?
俊也:そうですね。市内がほぼ99%です。最初は特に小田原にこだわってやろうとは思っていなくて都内の仕事も請けていたんですが、やっぱり顔を合わせる人のほうが仕事をくれるじゃないですか。だから結果として、おのずと生活圏のなかで多く仕事を頂くことになっていますね。小田原の仕事をしていて、ここ数年でこのまちの人たちがデザインに対して求めているものが変わってきているような気がしています。“デザイン”というもの自体が年配の方にまで浸透してきたこともあって、表層的なデザインよりも、もっと地域の特性みたいなもの、「小田原らしさ」というのをきちんとデザインしていかないといけないと思っています。
 

小田原がテーマの基礎にある仕事がほとんどなので、僕が一番小田原らしさについて考えてるんじゃないかな、と笑う俊也さん。たしかに、手掛けるデザインにもどこか小田原の「空気」や「温度」が感じられる。
 
 

スタートは自宅から。小さく始めて徐々に育ってきた

―おふたりが小田原で独立するきっかけは何だったのでしょうか。
俊也:もともとは大学生くらいのときからふたりで独立したいね、という話はしていたんです。ただ、なにで、というのは決まっていなくて、結局彼女が先に独立しました。
喜和さん(以下、喜和):学生時代から社会人になって8 年目くらいまで、結婚式の写真をアルバムにするデザイナーの仕事をしていたんです。写真データを渡されて、ウェディングプランナーの意見を聞きながらつくるという流れだったので、お客様がどう思っているのか直接聞きたいとずっと思っていました。
俊也:その頃僕は小田原で地域情報誌の会社にいたんですが、広告を集めるよりも「ショップカードとかつくってくれない?」という地元の店からの要望が意外と多かったんですよね。それだけ需要があるなら「やってみれば?」と彼女に提案したんです。それで彼女が独立して1 年くらいひとりでやっていたんですが、仕事が増えてきたので僕も会社を辞めて加わりました。地域のなかで、例えば看板なんかのデザインがしっかりした店が増えれば、周りも真似するかもしれないじゃないですか? そういう店がどんどん増えたら、住んでいる人や観光客の人たちも嬉しいと思うんですよね。それがまちの魅力の底上げになって、まちが良くなっていく。そういう風に僕らが役に立てるんじゃないかと思って始めました。
 

小田原市の依頼で制作した、小田原市総合計画の後期基本計画(平成29年度~平成34年度)を一冊にまとめた本編と、その概要版
 
―すると、最初はわりとこじんまりと始められたんですね。
俊也:そうですね。彼女が独立するときも僕は加わることになるなんて思ってもいなくて。屋号も、彼女のお母さんが小田原で長くやっていた絵画教室が〈アトリエ・コネコ〉だったので、あやかって〈デザインこねこ〉でいいんじゃない?って。
喜和:適当な感じで(笑)。自分が名乗るとは思わないから。
俊也:仕事場もずっと住居を兼ねていましたね。パソコン、プリンター、カメラがあれば仕事はできるのでローコストで始めました。
 
―そこから今のような従業員の方もいる大きな空間に移転するのは勇気が要りませんでしたか?
俊也:いや、何度か引っ越ししながら少しずつ大きくなっているので、そんなにエイヤ!って感じではなかったですね。
 
 

内側に飛び込むことで、初めて伝わるものがある

小田原の良いところは、交通の便が良くて田舎過ぎないところ、と喜和さん。
 
―小田原で仕事をしていくなかで助けてもらった人、お世話になっている人はいますか?
喜和:最初の頃は全然仕事がなかったので、自分でチラシをつくって飛び込み営業していたんです。何軒か回ったうちの、一軒目のお客様だけが連絡をくれて初めてDM を作らせてもらって。そのお店からはいまでも毎年頼んでもらっていますね。
俊也:地元の商店街などの会議に参加できるように調整してくれる方や、いろいろな人を紹介してくれる方がいて、すごくありがたいですね。引き上げてくれる人がいて、助けられていると思います。この間は、いつもお世話になっている方に「お前はよそ者だけど、そうやってがんばってるやつは使わなきゃいけないと思ってるからさ」と言われて。「よそ者」はいつまで経っても「よそ者」なんですけど、がんばっていればそういうふうにして上の人は協力してくれるし、逆のことも起こるんだろうと思います。小田原は歴史が深い分、企業同士の付き合いも長い。そこに新たに参入していくというのは、よそ者かどうかを別にしても難しさはあると感じます。
 
―そんななかでも、お仕事を拝見していると、小田原で信頼されて求められている印象がありますが、何かコツはあるのでしょうか?
俊也:中に飛び込んでしまわないとダメだな、と思いますね。外側から「こうしたらいいですよ」と言うだけじゃ相手には響かない。何かしたければ、仕事でもなんでもまず飛び込んで内側からやらないと何もできなくて、でも一度内側で動いてみるとまたそこから横につながっていく。それは自治会、商店街、老舗の企業さん、どこに対してもそうですね。会議も出ますし、飲み会の二次会のスナックまで行きますよ(笑) 。そこで初めて伝わるものがあるんだと思うんです。
 
 

デザインの力で社会の役に立つ会社になりたい

三方から光の差し込む明るいオフィス。団地から始まって何度か移転し、大家さんにこの部屋のテナント募集の看板制作を頼まれた縁から入居することになった。
 
―〈デザインこねこ〉として、今後の目標はありますか?
俊也:社会の役に立つ会社にしていきたいな、と思っています。株式会社として売り上げも立てながら社会に貢献していきたい。今興味があるのは福祉の分野です。地域のなかに貧困とか介護、保育の問題がわりとあると感じています。僕らに何ができるのかは手探りですが、ボールが飛んできたときにちゃんと打ち返せるように最近勉強を始めたところです。こうしたい、ということに対して、言うだけなら簡単で、実際に誰が中心になってやるんだ、という問題が出てくる。その“誰”になるつもりのあるものについては、今からしっかり勉強して、社会に対して良いインパクトを与えられるようになっていきたいと思っています。
 
▼おふたりに1日の過ごし方をうかがってみました

pagetop